広島の歴史を受け継ぐ街
「白島」ではじまる進取の暮らし。

白島。そこは碇神社に代表される 広島の古い歴史に培われた大人の街というだけではない。 落ち着いた風情を醸し出しながら、確かなこだわりを持った店が、 まるで隠れ家のように軒を構える街。 古き良き、新しき良きを知る人にこそふさわしい。 まさに『新しい大人の街』だと思う。

Intercross〈インタークロス〉とは、異なるものが互いに交わることを表す言葉。 *ソシオ新白島では「伝統」と「先進」、「静」と「動」、「老若男女」、 異なる価値観やライフスタイルを持つ多様な世代が交わることで、 新たな未来を創造するという思いを込めた、 白島での新しい暮らしのコンセプトとしてご提案しています。

東白島

1599年(慶長4年)に広島城が落成。その当時の街割りを描いた絵図として伝えられる「芸州広島城町割之図」に「箱島侍町」として記されている。「東白島」の名は、江戸中期に描かれた「広島城下町絵図」に見ることができる。

碇神社

約1200年前に記された「安芸国神名帳」の「筥島(はこしま)明神」のこととされ、広島城下開府以前から鎮座していたといわれる古社。16世紀末に毛利輝元が「碇神社」と改名し、保護した旧市内最古の神社である。

工兵橋

1899年(明治22年)に白島町北端に駐屯する大日本帝国陸軍工兵第5連隊と京橋川の北岸に所在した牛田の演習場の連絡橋として、工兵隊の手により木橋が架けられたのが始まり。現在の橋は1954年(昭和29年)に架け替えられたものだが、旧市内に残る唯一の吊り橋である。

長寿園

1910年 (明治43年)に、商人の村上長次郎氏が土手に桜を植え、1916年 (大正5年)に一般公開された。かつては市内の行楽地として花見などで賑わった。

広電白島線

1912年(大正元年)に、広島電鉄の創業路線として、広電本線と共に開業。当時は、京口門前の道路を通って八丁堀-白島間をつなぐ路線で、常葉橋線と呼ばれていた。

JR新白島駅

以前から多くの人の念願であったJR山陽本線とアストラムラインを結ぶ「新白島駅」が2015年3月に開業。これによって、JR沿線から広島の繁華街である紙屋町までを最短でつなぐことができるようになり、利便性が抜群に向上しました。

アストラムライン新白島駅

以前から多くの人の念願であったJR山陽本線とアストラムラインを結ぶ「新白島駅」が2015年3月に開業。これによって、アストラムライン利用者の広島駅への移動がスムーズになり、通学や通勤、出張や旅行での利用がさらに便利になった。

広島市立基町高等学校

1942年(昭和17年)に広島市立中学校として開校。2000年(平成12年)に、京都駅や札幌ドームを手がけた建築家・原広司氏の設計で校舎を全面リニューアルし、エスカレーターや巨大な吹き抜けのある校舎に生まれ変わった。

白島Qガーデン

ヨーロッパの街並みを思わせる石畳の道を真ん中に、イタリアンや麺料理、中華料理やお好み焼まで8つの店舗が揃う。白島エリア周辺で働く人々のランチや仕事帰りの寄り道スポットはもちろん、地域の人々に潤いを提供する「街」でもある。

近隣ショップ

都心に隣接しながら緑豊かで閑静な住宅街には、昔ながらの商店はもちろん、オシャレな外観のこだわりの店も続々登場している。この街の店の多くが加盟する白島商店会は「環境にやさしい街づくり」や伝統ある地域の行事にも取り組んでいる。

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